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機械人間のための水と夢

〜罔象能売の会のための宣言〜


電化製品(機械)であるわたしとワタシのあいだ


わたしは私、あなたは貴方

わたしはアナタ、あなたはワタシ

わたしは私、しゃかいは社会

わたしはシャカイ、しゃかいはワタシ

わたしはそらを飛び、あなぐらで絶望する

わたしは火をおこし、住みかをつくる

わたしは水をはり、ワタシをうつす

共同体からの疎外はシを意味する

共同体からの逸脱はセイを意味する


言葉のルール(ビンスワンガー『精神分裂病Ⅰ』より考案):

ひらがな=自己世界(私だけの想像的世界)

漢字=共同世界(私以外の人もいる象徴的世界)

カタカナ=超越世界(近づけるが辿り着けない神秘的世界)

実体=環境世界(物質的・現実的世界)


私たちは、水というものが、実生活にどのように浸透しているのか、解るところもあれば、解らないところもある。電気の一部も水から作られていることは知っているが、実際に水から電気になるまでの経路を全て説明できる人は多くない。


池の水に映った自分に酔いしれたナルシス、浄化作用を示す禊、死と水の結合である三途の川を渡れるか判断するカロン、女性美を奏でる溺死したオフィーリア、黒沢清の映画CUREで水を用いて催眠殺人をさせる伝道師など、水は癒しや人の生死への影響力を持ち、人の物質的想像力を掻き立てる。そのため、神話や御伽噺などに使われてきた。そして「古事記」でも創造の神様であるイザナミノミコト(伊邪那美尊)の尿から水の神様であるミズハノミノミコト(罔象能売尊)が生まれたと言われている。

また、水は人間にとって飲むことで生命を維持するための役割もある。一方で、慢性期統合失調症の患者さんの20%が多飲水、いわゆる水中毒(水を飲み過ぎて、体内の塩分が足らなくなってしまうこと)になると言われているが、実際に原因は、精神症状、薬の副作用、口渇感などのためと言われており、未だにはっきりしていない。死に至るほど飲んでしまう水とは、どんな力が宿っているのか、臨床現場では色々考えさせられてしまう。水は自己の存在を良くも悪くもわからなくして、再度考える機会を与えてくれるのだろうか。


一方、日常生活で水がなくては、料理もできない、発電もできない、それじゃ心臓も動かせない、本当に生きていけない。ここでハイデガーがいう「道具的存在(自分の身の回りにあるモノの存在)」と「現存在(自分が死へ向かう存在)」とのあいだに立ち返ってみたい。そして身の回りの生活空間における水と夢について、水を目の前にして無意識に身体的に考えさせられ、それとは全く関係のないコトを意識的に考えてみる。それらはビンスワンガーの言う「理想の追求」という「垂直」方向だけでなく、「経験の広がり」という「水平」方向に橋をかけるような試みになるのか。また「回転木馬」のような世界をずらす装置になるのか。そんな実験を続けていく。


参考:

バシュラール「火と精神分析」「水と夢」、ビンスワンガー「精神分裂病Ⅰ」、木村敏「分裂病の現象学」、ハイデガー「建てる・住まう・考える 建築論」「存在と時間Ⅰ・Ⅱ」、ドゥルーズ+ガタリ「アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症」


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